Extra episode 3 海外生活で必須な自己アイデンティティの確立

アイデンティティと言われて理解できる人はどれほどいるのだろう。

私は高校を卒業して1年間留学するための学校に行ってからアメリカに出たのだが、

高校時代、できるだけ「普通」になろうとしていた、


日本は単一民族であり、ほとんどの人の髪の色は黒であり、電車に乗るための列に綺麗に並び、変わった見た目の人はジロジロと見られる。

4年で大学を卒業することに努め、就職活動は皆同じ格好と髪型をして、できるだけ輪をみださない。


それが私が学生生活考えていた普通である。

英語の授業を受けて「趣味は何ですか?」と聞かれたときに戸惑っていた。


だがアメリカの学生生活の中で衝撃が走った。

自己紹介を上手くいかなかったとき、みんなが離れていく。

アメリカのカリフォルニア州では比較的あったかい気候もあり、陽気な人が多いから気軽に初対面でも話しかけてくる。

だが「趣味は何?」「どういう風に育ったの」と聞かれたときに英語力もあまりなかったが、日本語でも何も答えられない。

そうすると「もう興味がない」と言わんばかりにみんなが離れていく。


彼らは「普通の人には興味がない」と言っているわけではない。

何にも喋れないことで

「この人は自分の意見をしゃべってくれない」と思われているのだ

日本だと人の話を上手に聞いたり

その人が喜ぶことをすることで友達が出来たりする。

なので「自分」に対する情報発信能力が他の国と比べて低い。


仮にもし色んな人に合わせて違う顔を作ると「色んな所で違うことを言っている」と思われ

みんなにきみ悪がられる

日本では人に合わせて喋るというのはほとんどの人が行なっているが、海外ではその技術はあまり必要がないと言える


実体験だが先日日本に帰国したのだが、昔からの幼なじみや、前のバイト先の知り合いから、「変わった」 などと言われた。


理由は、私の海外生活の中で、「みんなに合わせていた自分」「可愛がってもらおうとしていた自分」がいなくなってしまったからだ。

上司と上手く関係を作ったり、学校で弾かれないようにするために「ありのままの自分」で生きていくことが難しい日本社会、


アイデンティティ」と言われてすぐに答えられない日本人が多い


私はこのアイデンティティを得るのにアメリカ生活の2年も費やした


それは学校のエッセイやクラスでのディベート、映画の感想を話し合うことで培うことができた。


「自分はこう思う、なぜなら」をひたすらに考えることが「自分のアイデンティティの確立」に繋がると私は思う。

そしてそれができると、海外での職場や友人関係が簡単に築けるようになる。


日本社会で生きる人々にとって「自己アイデンティティの確立」は不必要なのかもしれないが、

「自分は他人に理解してもらえない」

「自分はどうやって幸せになれるかわからない」と思っている人々には

「自分の気持ち」「何が好きか嫌いか」理解できるために1番といっていいほど効果的である。